落語家 春風亭柳橋さんにインタビュー

第54回 都民寄席 青梅公演

同じ噺でも人によってまったく違う面白さが生まれる。それが落語の奥深さ。

ほんのりと心に残る落語を届けたい、そう話すのは八代目、春風亭柳橋師匠。第54回を迎えた都民寄席では普段、寄席ではかけられない、長尺の「御神酒徳利」を披露してくれます。今回は落語の魅力、面白さについて、やさしく語ってくださいました。

春風亭柳橋(しゅんぷうていりゅうきょう)

落語家、公益社団法人落語芸術協会副会長。茨城県古河市生まれ。東京経済大学卒業後サラリーマンを経験し、1982年に七代目春風亭柳橋に入門し春風亭べん橋の名で初高座。二ツ目に昇進して7代目春風亭柏枝で人気落語家となり1994年に真打昇進。2008年には八代目として春風亭柳橋の名を襲名。テレビ、ラジオでの活躍も多い。

都民芸術フェスティバルだからこそできる長尺の落語。

──演目をご紹介ください。

今回、都民寄席では「御神酒徳利(おみきどっくり)」という落語を披露します。これは私の師匠の七代目春風亭柳橋や三代目桂三木助師匠らが得意にしていた話で、30分から35分くらいのけっこう長い落語なんです。普段の寄席では出番が15分から20分程度が多いのでやる機会が少ないんですよ。都民寄席は何度か出させていただいているんですが、長い落語も披露できるので、われわれも楽しみにしています。

「御神酒徳利」は物語性が高い噺で、非常にドラマチック。どうなるんだろう、どうなるんだろう?と展開を楽しんでいただけるという面白さもありますし、話している方も、物語の面白さを楽しんでいますね。先代もたっぷり時間がとれる高座でしかやっていなかった噺です。地方の落語会で時間があるときなどに披露されていて、私もよく聴かせていただきました。

──長時間の演目を聴けるというのは貴重な機会なんですね。

寄席ではなかなか耳にできないという落語も実は多いんです。またテレビで披露するとなると寄席よりもさらに時間が短く、面白い部分をぎゅっとさせることになる。けれど、落語はどちらかというと、そのほんわかした雰囲気が肝だと思います。全体的にみるとムダなような部分でも、そういうところまでちゃんと聴いていただくことによって、後半がより密になってくることもある。ストーリーとしてはカットできると思っても、そういったムダがあることで、最後にほんのり心に残るんですね。

師匠が頷かないと披露できない「口伝」の伝統芸。

──落語はどのように教わるのでしょう?

本来、われわれは先輩である誰からでも落語を教えてもらえるんです。先輩や師匠にお願いして、一対一で全て、いわゆる口伝で教えてもらいます。覚えたあとは師匠の前で実際に披露し、それで「あそこはこう直せ」というようなご指摘をいただく。「もう、お客様の前でやっていいよ」という許可が出ないとできないんです。それは自分の師匠だけでなく、先輩に習う場合も同じです。この厳しさが、口伝という手法が残ってきた所以であり、伝統でもあると思います。

目指すは、後味よくほんのりとできる落語。


──ずばり落語の魅力は?

あるお客様が「落語って悪い人が出てこないからいいですね」とおっしゃっていました。よくよく考えてみると本当にそうなんですよね。例えば泥棒や詐欺師が出てきても大体、そういう人たちはうまくいかない。失敗して笑いになる。そういうのって、お客様にとっては後味がいいのかなぁと思います。私もそんな落語の素晴らしさを感じながら話をしていますね。聴いた後にほんのりする落語をやりたいなといつも思っています。


──「ほんのり」する落語とはどういうものでしょう?

ほんのり……、そうですね。もちろんゲラゲラ笑う落語もあるけれど、それだけだとあまり心に残らなかったりもする。いい話だったなぁ、ちょっとホッとしたな、良い結果に終わってよかったな、そんな話もたくさんあるんですよ。

落語は、同じ噺をしても、落語家がどういう部分に重きを置いているのかで違うものに聴こえてくる。そういうなかで、とくに私は後味の良いもの、ほんのりできるものを、できるだけ目指しています。師匠と同じように演じるというのは間違いではないですが、結局、師匠と同じようにやってるだけだとミニ師匠にしかならない。その中から自分だけの形を作っていくのが一番難しいことです。だから人によって、落語の幅が出てくるんですよ。

サラリーマン経験後に入門、好きということが最大の力になる。

──もともと、落語を聴くことがお好きだったんですか?

親も好きだったので幼少期からよく聴いていました。私の子どもの頃はラジオ、テレビでも落語の番組が多かったですしね。大学に行ってから落語研究会に入り、落語をやる側になったらこれが、もう楽しかった。自分の一言でもってお客様が反応するわけでしょ。何百人という人が、笑ってくれる。それがすごく気持ちよくて、まぁヤミツキになりました。当時、うちの師匠が落語研究会の顧問で学生時代に弟子入りを志願したんですが、大学まで出た人がやる商売じゃないと断られてしまった。それで一度は諦めサラリーマンになりましたが、どうしても我慢できなくなり、再び師匠に弟子入りのお願いをしたんです。うちの師匠に限らず「あぁ、いいよ」と簡単に弟子にしてくれる人は少ない。落語家は正直、どうなるかわからない商売なので、本当に好きかどうかを確認するわけですね。入門すると修行時代もあるし、大変なことに耐えられるか耐えられないかは、落語が好きかどうかにかかってくる。そう考えると、好きということが最大の力なんだとも思いますね。

私の場合一度は諦めた道でしたが、サラリーマンを2年経験したことでプラスになったこともあるように思っています。実は今も30歳を超えてこの業界に入ってくる人もけっこういるんですよ。さまざまな経験値があるのは、それだけ落語の幅が広げられるということ。経験というのは決してムダにはならないと思いますね。

師匠から引き継いだ偉大な名前。継ぐことも弟子の役目。

──2008年には師匠の名を襲名されましたが、どのように感じましたか?

当時思ったのは、みんな遠慮して名前を継がずにいると、その名前が埋もれちゃうということ。名前が忘れられてはいけない。名前を残していくことも弟子の務めなのだと感じました。もちろんプレッシャーもあって大変でしたが、自分なりの形でやってくしかないなと思っていますね。

今はCDやビデオなどもあるので先代、先々代と比べられることもあります。でも、やっぱりその人なりの落語をやっていくことが大事だと思っていますね。私は八代目になるんですけども、八代目柳橋はこういう落語家だと思ってもらえればそれでいい。そんなふうに考えると、やはり名前を残していくことは大事ですよね。使命感も含めてではあるんですが。

同じ空気を吸ってその瞬間を感じてもらう、それが生の落語の楽しさ。

──生の舞台としての魅力はなんですか?

われわれは、その時その時でちょっとずつ落語のやり方が違ってくるんです。寄席の客席は明るくなっています。落語家はお客様の顔色を見ながら考えて話すんですね。なので、その時、その場にいて同じ空気を吸っていただくということが一番素晴らしいこと。これは落語に限らず音楽もほかの舞台芸術も同じですよね。都民寄席は東京都内の各所で寄席を行います。なかなか寄席まで足を運べない方にも、ぜひ遊びに来てもらいたいですね。生の落語がやはり一番だと私たち落語家は思っています。

落語家たちが都内各地に出向く都民寄席。実際に体感してください。

──最後にお客様に、メッセージをお願いします。

これからわれわれが、都民寄席でみなさまのところにお邪魔して落語を披露します。最近は若い人も寄席や落語に興味を持ってくださっているようなので、ぜひ生で落語を楽しんでいただけたらうれしいです。



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