能楽師 狂言方 和泉流 野村万禄さんにインタビュー

第64回 式能

狂言は庶民の巻き起こす日常や笑いを描く芸能。自分とリンクするものがあるかもしれません。

毎年、都民芸術フェスティバルで上演される「式能」は、能を五流五番、狂言を二流四番、観ることができる貴重な機会として知られています。狂言は庶民を描いた話で初心者にもうってつけと話すのは、今回、第1部「樋の酒」に出演される野村万禄さん。能と狂言の違い、その魅力を丁寧にお話いただきました。

野村万禄(のむら まんろく)

1966年、東京都生まれ。能楽師 狂言方 和泉流。母方の祖父、六世、野村万蔵、伯父の初世、野村 萬に師事。萬狂言 九州支部代表、公益社団法人能楽協会本部理事 兼 九州支部長。九州エリアを中心に普及公演やワークショップなどを開催。テレビやラジオ等にも出演している。

江戸時代にルーツを持つ歴史ある公演、狂言のなかでも大好きな作品を演じます。

──公演についてご紹介ください。

公益社団法人能楽協会主催の「式能」は今年で64回を迎えます。まず式能とは、江戸時代、幕府の正式な芸能 式楽、「猿楽」の上演形態をルーツに、現在行われている唯一の能楽公演です。まず、天下泰平・国土安穏・五穀豊穣を祈る「翁」から始まり、能五流五番の翁附五番立(おきなつきごばんだて)、そして狂言が二流四番ございます。朝から晩までの1部・2部制になっていて、まさに能尽くし、狂言尽くしの公演。初心者の方もよくご覧いただいている方も楽しんでもらえると思います。

画像提供:公益社団法人能楽協会

──野村さんが出演される演目をご紹介ください。

私は狂言の「樋の酒」を演じます。実はこれ、私の大好きな狂言の一つでして、なぜかというと私はもう無類のお酒好きなんですよ。登場人物は3人でご主人様と太郎冠者(たろうかじゃ)、次郎冠者(じろうかじゃ)という家来。この二人の家来はとてもお酒が好きなんです。主人が、太郎冠者には米蔵を、次郎冠者には酒蔵を預け留守番を命じて外出するのですが、酒好きの二人はどうしてもお酒を飲みたくなる。次郎冠者が酒蔵のお酒を飲んでいることを知った太郎冠者は、米蔵を開けられないけどなんとかお酒は飲みたい。そこで二人で苦心して「樋」(とい)を蔵の間に通して、お酒を流して二人で飲むんですね。お酒を飲むと気が大きくなるので、やがては大宴会に。そこに主人が帰ってきてさてどうなるか……というお話です。

狂言は漫才やコントのルーツとよくいっているんですが、発想としての面白さがありますね。解説も何も見なくてもご覧になったお客さんには楽しんでいただけると思います。
また、主人がケチな人間でして、そんな主人に対して教訓めいた部分も感じられるでしょうし、風刺でもあります。と同時に、ケチな主人を打ち負かしてやろうという太郎冠者、次郎冠者の言うなれば下剋上でもある。そういう、多面性もまた「樋の酒」の魅力ですね。

能と狂言は性格の違う兄弟のようなもの。それぞれに面白みがある。

画像提供:公益社団法人能楽協会

──初めてみるときのポイントは?

能、狂言でそれぞれ見るポイントは違います。能は多少、予習をしてから観に来ていただくとより理解を深めていただけるような気がしています。初心者の方には狂言がおすすめですね。狂言は当日会場でパンフレットを見ていただければ、十分理解して楽しんでもらえる芸能だと思っています。

──能と狂言、その違いを簡単に教えてください。

一言では難しいんですけれども、能はどちらかというと悲劇的要素の強い芸能。対して狂言は逆に喜劇性が強い。どちらも、約650年間ずっと続いてきて、ともに令和の時代まで能楽として生き続けてきました。ルーツをたどれば能は、神様に奉納する要素が強かったのではないかと。そして、狂言は現在生きている人間に対してのアピールという意味合いが強かったのではないかなと思っています。

ただ、能も悲劇ばかりではないんです。能はまず神様が出てきて悲劇も多いですが、20%程は祝言的要素、おめでたい要素も含まれています。対して狂言は、多くが喜劇性の強いものですが、20%程は悲劇性の強いものもあります。能と狂言は、同じお母さんから生まれた、性格の違う二人の兄弟のような感じで捉えてもらえたらいいですね。

狂言は「家」により大きな違いがある。人間国宝の祖父、伯父から教わった和泉流。

──「式能」はさまざまな能、狂言を一度に観ることができる貴重な機会ですね?

こういう形式の公演はほとんどないです。「翁」から始まり、厳粛な気持ちでスタートする公演が、朝から夜まで続くわけなので、能楽師(シテ方、ワキ方、狂言方、囃子方)はみんな、少なからずとも特別な感覚を持っていらっしゃるんじゃないかなと思います。
狂言の場合は「二流四番」と申しましても、各家々で演出が違ったり、言葉が違ったり、これが同じ演目かと思えるほどの違いがあります。家ごとに、時代のなかで進化してきていますので、流儀というよりはどの家の狂言を観るかという、楽しさがあるのではないかと思います。

──狂言を始められたきっかけを教えてください。

母方の祖父が和泉流の六世、野村万蔵で、周りには狂言をしていた従兄弟たちが既にいたので、最初はやるつもりがなかったんです。狂言の世界に入るきっかけになったのが、私が引っ込み思案でシャイだったということ。小学1年生くらいのときに、性格を改善するために狂言を始めました。最初は祖父に習っていたのですが、大きい声は出すのは嫌だし、正座で足も痛い。もう嫌で仕方がなかったんですよ(笑)。稽古を休むわけにもいかなくてそのうち舞台にも出るようになった。それでも、なかなか性格が変わりません。舞台の前は緊張でお腹が痛くなりました。小学校高学年のときに師匠の祖父が亡くなりまして、今度は伯父達に教わることになりました。まさに昭和のスパルタ的な稽古だったのですが、それでも稽古を休みたいなんて、怖くて言えませんでした。
高校三年生になり、就きたい職業も発見できなかったので、東京芸術大学、音楽部邦楽科の能楽専攻に入りました。大学の4年間の中で将来を決めようと思ったんですね。大学でいろいろな人と出会いさまざまな経験をするなかで、自分が小学生からやってきた狂言は、誰にでもすぐできるものではなく、非常に稀な仕事、芸能だと改めて気づきました。そしてやはり狂言を職業にしたいと思い始め、卒業後に再び初世、野村 萬の元で本格的に修行し、現在に至っています。

九州に広がる狂言の魅力。新しい人材育成も役目の一つ。

──野村さんは現在、福岡を拠点に狂言を広めてらっしゃいますが、その経緯を教えていただけますか。

私は元々東京生まれで30歳まで東京で狂言をやっておりました。我々のグループの九州支部を作ろう、和泉流の野村万蔵家の狂言を広めようということで1997年に福岡に居を移すことに。福岡という地は公演に行く機会も多かったし、大学の友人もいてプライベートで伺うこともあった場所。何もないゼロの土地からポンと始めようというわけではなかったので、心強さはありました。
そして、これは伝統芸能のありがたさと感じましたが、学生時代に野村家に出入りしていた福岡の学生さんが、現地で別の職業に就いていたんです。ワークショップや簡単な狂言の相手役をして貰い、私の右腕として動いてくださりました。そういうご縁があったのも事実ですね。
九州は関西圏のイントネーションが日常。ですが、和泉流の狂言は東京のもの。発音、イントネーション、アクセントなどセリフは神経を使って伝えていますね。なるべく元の東京の狂言から変わらないようにしたいと思っています。今は、能楽協会九州支部のメンバーは私を入れて4人ですが、近い将来2人ぐらい、能楽協会に入れたいなと思っています。そのように弟子も育ってきていますね。
私が福岡へ行った目的は、狂言自体の普及と、いわゆる後進の育成。もちろん大変な時期もあったし、狂言をプロとして志す人にめぐり合えない期間も長かったですが、最近はありがたいことに若い人も出てきた。そんなこともあり、一生懸命教えているつもりです。

狂言は庶民目線の芸能。笑い、教訓、風刺など多様な魅力がある。

──狂言の一番の魅力は何でしょう?

能は室町期以前、南北朝、鎌倉、平安、奈良時代の神様や、宗教者や源平合戦に出てくる武将が主人公で超有名人が巻き起こすドラマですが、狂言は室町時代に生きる人を主人公にしているのが特徴です。狂言で登場人物が“この辺りの者でござる”と名乗るのが象徴的で、つまり誰でも主役になれるもの。庶民目線なんですよ。例外もありますが、狂言が庶民の巻き起こす日常的な笑いを描こうとしているのは確かです。
ちょっと口はばったく言うと、それが教訓になり、風刺性の笑いにつながる。それが庶民目線で観られるというところがやはり面白いんじゃないかなぁ。そして、ちょっと遠くから見渡してみると、自分の知り合いや過去の自分の人生にもリンクできるかもしれない、これこそが狂言の魅力ですね。狂言という言葉は元々、「お芝居」という意味です。お芝居ですから、悲しくても笑わなきゃいけないし、笑い出したいときでも泣かなきゃいけない。そういう裏腹な部分も狂言の面白さだと感じています。

歴史ある「式能」を、国立能楽堂の舞台でぜひ観ていただきたいです。

──最後にお客様に、メッセージをお願いします。

能楽協会主催第64回式能、2月18日、日曜日、国立能楽堂でお待ちしております。
ぜひご来場ください。



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