舞踊家 花柳輔太朗さんにインタビュー

第65回日本舞踊協会公演

日本の伝統や美しさを伝える日本舞踊。重要無形文化財にも指定されている踊りをぜひ、一度観ていただきたいです。

年に1度の「日本舞踊協会公演」は日本舞踊の各流派が集結するという、とても貴重な舞台。日本舞踊だからこその舞台の魅力、そして面白さを伝えようという公演です。その見どころと日本舞踊の醍醐味を、今回、「今昔浅草模様(こんじゃくあさくさもよう)」の構成と振付を担当される花柳輔太朗さんにお話しいただきます。

舞踊家 花柳輔太朗(はなやぎ すけたろう)

1960年、東京都生まれ。花柳誠三郎を父とし、幼少期から日本舞踊の舞台に立つ。文化庁青少年芸術劇場、文化庁移動芸術祭、国立劇場主催公演、日本舞踊協会公演、NHK等舞踊公演に出演。一方で、1993年には文化庁インターシップ研究員となり蜷川幸雄に師事し演出を学び、「テンペスト」「Ninagawaマクベス」 など商業演劇をはじめとした他ジャンルの舞台にも舞踊家として出演するなど、日本舞踊の可能性をさらに広げる活動を行なっている。(公社)日本舞踊協会 理事。

日本舞踊の醍醐味を伝える、多種多様な演目が上演されます。


日本舞踊協会提供

──日本舞踊協会公演はどのような公演なのでしょう。

この公演は昭和31年から行われている日本舞踊の大きな公演です。そもそも、日本舞踊協会は、伝統芸能である日本舞踊の普及を通じ文化の発展に寄与することを目的として設立された協会。そのため、この公演では日本舞踊の多彩な魅力や醍醐味を世間の方に広めることを目的に始まりました。日本中の第一線の日本舞踊家が集い、芸をお見せするというのが、この公演の大きな趣旨でして、さまざまなジャンル、多彩な作品を集めて、お客様に楽しんでいただけるように構成しています。


日本舞踊協会提供

今回の演目を紹介すると、例えば、狂言から派生した松羽目物として「茶壺」、「墨塗女」、「釣女」、江戸時代から続く大古典として「茶筅売(ちゃせんうり)」、「土佐絵」、「晒三番叟(さらしさんばそう)」など。古典とは少し離れた群舞として「地蔵の道行」、「風流船揃(ふうりゅうふなぞろい)」、「雨の四季」、「水仙丹前」などが演じられます。また大正から昭和ぐらいにかけてできた「春信幻想曲」、「さるかに合戦」、「宿の月」など近代の曲もあります。加えて上方(かみがた)舞として「都十二月(みやこじゅうにつき)」も上演されます。それぞれの演目の魅力が際立つようバランス良く配置し、いろいろな方に楽しんでいただきたいと思っています。

江戸文化があふれる街、「浅草」を軽快な踊りで表現。

──花柳さんが構成・振付を担当されている「今昔浅草模様(こんじゃくあさくさもよう)」はどのような作品でしょう?

本公演は昨年までは国立大劇場で公演を行っていたのですが、国立大劇場の改修に伴いまして、今年は浅草公会堂に移ります。浅草はまさに江戸文化の発祥の地。歌舞伎の江戸三座、中村座、市村座、森田座があったのも浅草、さらには吉原があり芸者文化や花魁文化もありました。そして、花やしき。実はあの遊園地ができたのは1853年、江戸時代の嘉永6年ととても歴史が古いのです。つまり、江戸の遊興の全てが詰まった場所ともいえます。今回は日本舞踊家も浅草の芸者姿で、「大和楽(やまとがく)」というジャンルで踊ります。「辰年の春」、「船ゆらら」、「浅草田んぼ」、「娘神輿(むすめみこし)」、「隅田川」、「しんさわぎ」という6曲となっています。大和楽というのは昭和8年にできた新しいものでして、江戸時代の模様を今の曲で発表するということで「今昔浅草模様」というタイトルにさせていただきました。頭と最後、「辰年の春」、「しんさわぎ」は現在の浅草花柳界のために作られた曲ですし、他の曲にも浅草の地名、町名がたくさん出てきます。また、曲も全て軽やかで。芸術的に踊るというよりは軽快ですね。一般の方々に楽しんでいただけるような曲を集めたので、楽しい踊りになると思っています。

日本舞踊の振付も、他ジャンルの振付も実は同じ感覚なのです。

──花柳さんは500曲以上と、実にたくさんの振付をされています。日本舞踊以外ではどのような作品に携わってらっしゃるのでしょう?


日本舞踊協会提供

例えば有名な舞台「欲望という名の電車」を宮川彬良さんがアレンジした曲に振付をしたり、オペラの「カルメン」を日本向けに直して演じたり。「ボレロ」ではバレリーナの吉田都さん、狂言士の野村萬斎さんとも共演させていただきました。本当に多彩なジャンルでやらせていただいています。

──日本舞踊の振付と、他ジャンルの振付で、考え方は異なるのでしょう

実は同じだと思っています。日本舞踊はなるべく言葉を使わない、セリフを使わない表現。舞踊家本人の肉体とステージングで言いたいことの内容を伝えなければならない。言葉がないのに、伝えなければならない。そこが一番苦しいところです。しっかり伝えるためにはどうしたらいいのか、それを探っていくのが辛い仕事ですね。でも、ここさえ見えてしまうと、あとはできたイメージに向かって振りをつけていくだけ。仕事の70%が終わったという雰囲気になります。なので、日本舞踊も他の振付も同じという感覚なのですよ。これは400年以上続いている歌舞伎にも同じことが言える気がします。歌舞伎の感情の高まりが舞踊になっている。感情が高まったところに三味線が入って、義太夫が入って、そこに踊りが生まれる。まさにこの踊りになっていく部分を強調しているのが我々、日本舞踊の仕事というわけです。

演劇に傾倒した若き頃。そこで気づいた、日本舞踊の素晴らしさ。


日本舞踊協会提供

──日本舞踊の世界に入られたきっかけを教えてください。

祖父、父の代から日本舞踊の仕事に従事しておりまして、私も子供の頃から日本舞踊をやっておりました。初舞台は2歳半ぐらいの頃でして、まだ着物の下におしめして踊っている写真が今でも残っています(笑)。
それで、ずっと踊りを続けていたのですが15歳くらいになると私は徐々に、演劇に傾倒しまして。ニューヨークやロンドンなどにも出かけてお芝居を観ていました。でも、海外ではどうしても言葉の壁がある。言葉がわからないのはとてもストレスになると感じました。そのときにちょっと待てよと思った。自分たちのやっている日本舞踊は言葉がなくても感情を伝えられる芸能じゃないか。舞踊はもしかすると世界に通用するのではないか。高校生の頃にそう考えるようになりました。

でも、先程お伝えしたように演劇をやっていましたから、本当に舞踊の道を目指そうと思ったのは18、19歳の頃と遅かったのです。当時は花柳界の芸者衆の会が盛んで明治座で半月も公演があったりしました。観に行くと100人くらいの芸者数が舞台に出ると、お客様が熱狂的に沸くんですね。それを観て、こういう舞台を作っていけたらなと感じましたね。

──演劇の経験は日本舞踊に影響を与えていますか?

すごく大きいです。僕は蜷川幸雄さんのところで振付をしたり、お芝居に出たりしていて、世界中を回りました。蜷川さんは俳優の肉体そのものが言葉と一体となる、まさにそんな演出されていましたので、この意味がどうしても伝わらないから振付てくれ、とそんなことを言われたりしながら、一緒に切磋琢磨をしながら振付をすることもありました。そのときに、これは私たちの日本舞踊の世界にも活かせるものだなと思ってやってきて、今につながっていると思います。

衣裳や踊り、そして肉体の持つ力。日本舞踊から日本の伝統、美しさを感じてほしい。


日本舞踊協会提供

──ずばり、日本舞踊の魅力とは?

勉強しないと理解できないような部分もありますが、例えば衣裳やかつらひとつとっても、本当に美しい日本の伝統が生きている世界だと私は思っています。また古典から派生した最近の曲にしましても、皆さんが今の時代に合うようにと工夫し考えながら創作しています。見た目だけでも十分楽しいですし、曲も理解していただけると本当に楽しいです。舞踊家の肉体で、さまざまなことを表現しているということがわかるようになると、さらに楽しく見ていただけると思っています。

重要無形文化財に指定された日本舞踊を、ぜひ生の舞台で楽しんでいただきたいです。


日本舞踊協会提供

──最後にお客様に、メッセージをお願いします。

日本舞踊は昨年、国の重要無形文化財に指定され、総合認定保持者は舞踊家が39名、演奏家が16名。今回の公演にも多くの方が参加されます。日本舞踊をご覧になるお客様の土壌を広げていくという使命を感じながら踊っています。今回はたくさんの方に楽しんでいただける構成となっていますので、ぜひ、一人でも多くの方に来ていただきたいです。


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